秋田の「大泉洋」になる!パート2
秋田県小坂町出身のタレント・尾樽部和大(おたるべ かずひろ)。彼のわらび座での役者人生は勘違いから始まった。今までどこにも明かさなかったその真実とは?そして彼の持つタフネスさの真相に迫る。
学生時代に目指したのは教員
M:Matirog
尾:尾樽部和大さん
Mおたちゃんと僕とは同じ年で、1978年生まれです。小学生のに見ていたアニメといえば、「宇宙船サジタリウス」ですかね。
尾え?知りません! 僕の中では、「シティハンター」「北斗の拳」「キン肉マン」「聖闘士星矢」などでしょうか。
M懐かしいですね。ゲーム機で言うと、ファミリーコンピュータですよね。僕はPCエンジンのコアグラフィックスとか持ってましたよ。「スーパーマリオ」や「スーパースターソルジャー」のゲームをしていました。このようにドンピシャで僕と同世代のおたちゃんですが、どのようなバックグラウンドがあるのかお聞かせください。
尾生まれは秋田県の小坂町です。小坂町は鉱山の町ですが、日本最古の芝居小屋で、国重要文化財でもある「康楽館」があることでも有名です。小中高まで小坂町で過ごし、大学は秋田市の秋田経済法科大学(現:ノースアジア大学)に通いました。そして大学卒業後、わらび座に入りました。
Mわらび座は秋田で老舗の劇団ですが、そこに入ることになったのは、やはり小さいころから役者になりたいと思っていたからですか?
尾子供のころは、役者になりたいとは全く思っていませんでした。学級委員長や、文化祭で目立つ役などに自ら手を挙げていましたので、強いて言うなら目立ちたがり屋な子供だったかもしれません。芸能に通ずる要素は、とにかく目立ちたい性格だった、という程度でしょうか。
M自主性のある、積極的な子供だったんですね。それにしても、おたちゃんの声はとてもよく通りますよね。
尾バスケットボール部でとにかく声を出していたからかもしれません。中学校に入ってすぐの部活動紹介で、統率のとれた練習風景がとても格好良く映ったので、バスケットボール部に決めたんです。そこで声が鍛えられたんじゃないかな。最終的にバスケットボールにはまってしまい、高校、大学まで続けました。
M中学から大学まで声を出し続けていたからなんですね。
尾大学生のころ、将来は学校の先生になりたいと思っていたので、地元の中学校で教育実習をして、中学校の社会科と高校の地理歴史の教員免許を取得しました。中学校で教育実習をした2週間は、生徒に社会を教えながら、バスケットボール部の指導もさせてもらい、夢のような時間でしたよ。そして、大学4年生の夏に秋田県で、社会科と体育科の教員採用試験があったのですが、とにかく倍率が高く、定員2人に対して500人もの受験者がいて結局落ちてしまいました。通常であれば、その後、講師登録をして、講師として教壇に立ちながら毎年、専任の教員採用試験を受けるんですね。で、自分はどうしようかと悩んでいた時に、偶然わらび座と出会いました。
勘違いから、わらび座へ
M:Matirog
尾:尾樽部和大さん
M教員を目指していたおたちゃんが、全く異業種の劇団に入った経緯が知りたいです。わらび座の公演を見て感激したからですか?
尾感激したということも勿論ありますが、実はこれまで明かしていなかった経緯があるんです。
M何でしょう、気になりますね。世界に向けて配信してしまってもいい内容ですか?
尾はい(笑)教員採用試験に落ちたあと、講師登録するか悩んでいましたが、ひとまず大学の就職課に行って、色々な企業説明会の案内を見ていたところ、わらび座のポスターに目が留まったんです。そのポスターに「公演営業者募集」と大きく書かれていました。その時に、「役者を募集してる!」と若かりし僕は思ったんです。よくよく考えると、募集しているのは“公演を売り込む営業者”で、役者ではなかったんですよね。役者はやったこともないのに、その時面白そうだと感じたんですよ。そのポスターを見て、わらび座が秋田市のホテルで行われる合同会社説明会に参加することを知ったので、まずは話を聞いてみようと行ってきました。実際のところ、当時はわらび座が何をやってるのかも知らなかったのですが、僕はそこに行けば役者になれると思い込んでいました。
説明会当日わらび座のブースへ行ってご挨拶をしたところ、「男性を探してるんです!」と担当者に言われました。もちろんその担当者は、“公演の営業者募集”という前提で僕と話しているんですが、僕は“役者募集”だと思って話をしています。本来ならかみ合わないはずが、なぜか双方誤解したままかみ合ってしまったんですよね。
「人と話をするのは好きですか?」「はい、大好きです!」、「仕事に就いたら全国に行きますが、問題はありませんか?」「はい、大丈夫です!どこへでも行けます!」のような感じで。
そして、「1週間後にわらび座の本社で採用試験があるのでぜひ来てほしい、あなたなら受かります!」と言われたため、こんな簡単に役者になれるのかと不思議には思いましたが、面接を受けに1週間後本部へ行きました。
Mお互い勘違いしたまま話が進んでしまったんですね。面接当日は何を着ていったんですか?普通ならスーツですが・・・。
尾面接当日、試験会場に来ていたのは10人くらいでした。僕は役者の試験だと思っていたので、とにかく体を動かすだろうとジャージで行きましたね。
Mえ!!!ジャージですか!?
尾もちろん他のメンバーは全員スーツでしたよ!
試験内容は、午前中にアンケートに答えたあと、わらび座の公演を見て、午後に面接という流れでした。アンケートを書いていると、最後に「あなたが希望する職種」の項目があって、ひとつを選択するのですが、「役者」とは別に「全国公演営業者」があり、「おや?」と思いながらも、ためらわず「役者」に丸を付けました。そして、午後の面接の時間になり、名前を呼ばれて中に入ると5人ほどの面接官が、僕を見て首をかしげるんです。あちらは、公演営業者の採用面接をするはずなのに、僕はジャージですからね。面接官の中の一人が、会社説明会で僕と話をした方だったのですが、その方に「尾樽部さん、全国公演営業者を希望されているんですよね?」と尋ねられたので、「公演営業者は役者ではないんですか?」と答えたところ、「全然違います!」と言われ、そこで初めて全国公演営業者が、役者ではないことに気が付きました。面接官たちも僕も「はてな?」ですよ。
M両者啞然じゃないですか!
尾その面接会場で初めて双方話が食い違っていることが判明しました。ですが、その後のわらび座の対応が素晴らしかったんです。年に3~4回研究生の試験を開催していますが、そのころ秋の試験はすでに終わっていて、次の試験が2月か3月でした。役者を希望するならその試験を受けなければいけませんが、大学4年生の2月では就職を決めるには遅すぎます。すると、なんと1か月後に研究生の試験を特別に開催してくれることになったんですよ。
この公演営業の面接試験の時、僕と同じように役者の試験だと勘違いしていた人がもう一人いたせいもあったのかもしれません。勘違いしていた二人のために、面接試験の1か月後、わらび座研究生の試験を開催してくれて、無事に二人とも合格しました。
M自分でチャンスを作ったんですね。
尾わらび座の公演も、実は面接のときに初めて見て、そこでようやくわらび座がどういう劇団なのかを知りました。
M本来、そこに入団しようと思っているなら、面接を受ける前に見に行きますよね。(笑)
尾その時初めて舞台上の役者の演技を見て、目立ちたがり屋の血が騒ぎましたね。デスクワークは不向きだと感じていたのと、体を動かす仕事がしたかったこともあり、役者という職業に魅力を感じました。また、大好きな秋田を拠点に活動できることも魅力のひとつでした。わらび座の舞台を色々見るようになったのは試験に合格してからですが、舞台を見るたびにますます役者の世界に引き込まれていきましたね。
M役者に対する先入観や知識が無かったからこそ、素直に役者という職業を受け入れられたのかもしれませんね。
尾そうですね、就職前の僕には、役者としての基礎は全くありませんでしたから。研究生の試験内容は、事前に渡された台本での演技や、課題曲と自由曲を歌うこと、舞踊講師を見て踊れるかのダンス試験、自由曲でのダンス試験、トレーニングなどです。1か月後に控えた試験のために、教育実習でお世話になった中学校の音楽の先生に、課題曲を見てもらって歌の練習をしたり、ひたすら台本を読み込んだりしました。合格してからわらび座の方から、「演劇・音楽・舞踊は最悪だったけれど、腕立て・腹筋・背筋などのトレーニングの結果はずば抜けて良かった」と言われましたよ。(苦笑)
M長年バスケットをしていたから、フィジカル面は強かったんですね。
尾丈夫な体が評価されたのかもしれません。
わらび座は、研究生として入ると一から教えてくれますので、入団時のレベルが素人でも受け入れてくれます。ちなみに、劇団四季さんの研究生は、バレエを長年やっていたり、声楽を習っていたりなど、すでに経験を積んできている方ばかりです。一方、当時のわらび座は、やる気があれば合格できたんですよ。現在のわらび座の試験の課題曲は、ミュージカルの曲だったりしますが、僕が入るころは比較的自由だったので、THE YELLOW MONKEYの「JAM」を弾き語りで歌いましたからね。THE BLUE HEARTSを歌った同期もいましたから(笑)それでもみんな合格してましたよ。
M自由ですね! そういう遊び心は大切ですよね。
わらび座研究生時代
M:Matirog
尾:尾樽部和大さん
Mわらび座の研究生として入団して、どのような生活でしたか?芝居・音楽・舞踊のすべてを一から学ぶんですよね。
尾はい、素人でも入れるわらび座でしたが、全て一からだったので、入ってからの2年間は必死でした。舞踊ひとつをとっても、ジャズ、バレエ、モダン、コンテンポラリー、そしてわらび座が大事にしている民俗芸能と、あらゆる舞踊を学びます。一つの科目だけでも数十種類とあるので、それを2年間で学ぶとなると、体がついていかず怪我をする研究生も多く、入団時は10人以上いた研究生が、最終的に卒業出来たのは2~3人だった、といったことが長年続きました。
Mおたちゃんは怪我もなく卒業されたんですか?
尾稽古中に骨折して、挫折しかかったことがあります。
Mえ?!骨折?
尾44期研究生として2年間研究生の期間を送りましたが、月~土曜日まで稽古をして、土日は生活費を稼ぐために、秋田芸術村(注:劇団わらび座の本拠地であるわらび劇場を中心とした秋田県仙北市にあるエンターテイメントリゾート施設)の施設内でアルバイトをしてました。盆休みも3日間ほどで、それ以外は休みなく稽古とアルバイトを繰り返す生活です。
1年目が終わると、2年目からわらび座の舞台に立てる舞台実習が始まりますが、1年目の秋に体操の稽古中、飛び込み前宙で背骨を圧迫骨折してしまったんですよ。あと数か月頑張れば2年生に上がれるという時期で、僕自身も舞台実習を楽しみにしていたのですが、その骨折で舞台に上がれなくなってしまいました。講師には、「今骨折を治して、来年もう一度1年生からやり直すか、今ここで辞めるかを考えなさい。」と言われましてね。
実はわらび座に入る前に両親と喧嘩したんですよ。両親は教員になると思っていましたから。研究生1年目の終わりまで来て、また一からやり直すのは正直嫌でしたが、両親と喧嘩していた手前、辞めて家に帰るとも言えませんでした。また、稽古を重ねるうちに、役者への思いも強くなったので、1か月間やせ細るほど悩みましたが、一からやり直す決断をし、怪我を治して、翌年45期研究生として入りなおしました。44期で同期だったメンバーは2年生に上がり、みんな舞台に立ってるんですよ。複雑な気持ちでした。そして、二度目の1年生を終えたころ講師に別室へ呼ばれ、「本来なら次は2年生ですが、尾樽部君はこれで卒業になります。」と言われました。わらび座に男性役者が足りなかったことも理由の一つですが、怪我をする前に1年生を秋までやってきたことも加味されて、僕を特例として卒業させることに講師全員が同意してくれたようです。そのため、最初の44期メンバーと同時期に卒業することができ、そこから舞台に立つようになりました。
M1年生の終わりに骨折したことを振り返って、今どのように感じますか?
尾本当は怪我無く普通に1年生2年生を過ごし、卒業したかったですよ。しかし、怪我のために1年生を2回繰り返したことで、反骨精神で成長できたことを思うと、結果的には良かったのではないかなと思います。
M反骨精神で今に至っているおたちゃんは格好いいですよ。僕だったら怪我をしてもう一度1年生をやり直さなければいけないとなると、心が折れてしまいます。
尾役者を目指すか辞めるかの選択は今までで一番悩んだことですが、やると決めたからには進むしかありませんからね。怪我をしたあとの冬の時期は体作りに専念して、2度目の1年生に備えました。
プロであること
M:Matirog
尾:尾樽部和大さん
Mわらび座は一つの役に対して代役が複数いるダブルキャストではなく、代役のいないシングルキャストと聞いています。そうなると、絶対にに穴を空けられませんよね。骨折を経験したからこそ、怪我や体調管理にも気を使っているんじゃないですか?
尾そうですね。体調管理に関しては、わらび座での役者時代16年間毎日考えていました。大学生のころまではよく風邪をひいていましたが、わらび座の役者たちは喉のケアのためにもみんなマスクをしていたので、僕も役者になってからは必ずマスクをつけるようにしていました。そのため風邪を引くことも減りましたね。
Mマスク着用は役者にとって大事なんですね。他に何かありますか?
尾とにかく寝ることです。舞台の仕込みが始まると、役を完成させるために自主練をして、睡眠を削ることも多くあります。そのため、いかに短時間で質のいい睡眠をとるかが大切です。僕は布団や枕にこだわりました。そして、疲れをリセットするためにも、寝られるときはとにかく寝るようにしてましたね。10時間以上寝ることもありました。
M10時間以上も寝るんですか!
尾僕は基本的に朝型人間なので、稽古が夜7時に終わると、9時ごろには寝て翌朝5時ごろに起きてから自主練をします。夜が強くないので、稽古後に自主練をすると、僕の場合翌日に疲れが残ってしまうんです。夜2時間稽古するよりも、僕の場合朝早く起きて2時間するほうが質が上がります。
Mアメリカのデキるビジネスマンも朝型が多いですよね。
尾朝練の方が僕には向いてますね。
Mそれにしても、わらび座にいた16年間の中で体調が悪かったことは一度もないんですか?
尾ありますね。でも、最悪のコンディションでも穴を空けられないのが、舞台役者なんですよね。
Mプロですよ!!!
尾コンディションの悪い中舞台に立つことは必ずしも良いことではありませんが、シングルキャストでやり通すタフネスさは鍛えられましたね。
Mおたちゃんは、鍛えられたタフネスで、苦手なことにも立ち向かっていけるんですね。
★次回配信★
尾樽部和大さんの「秋田の大泉洋になるvol.4-#3」は7月2日配信予定です。
お楽しみに!