秋田の「大泉洋」になる!パート3
秋田県小坂町出身のタレント・尾樽部和大(おたるべ かずひろ)。やらないで後悔するよりも、やって後悔したい。そう語る彼が見つめるこれからの自分の姿とは?そして昭和53年に生まれた2人の男が未来に向かって今、走り出す!
Matirogに聞きたいこと
M:Matirog
尾:尾樽部和大さん
尾僕から、Matirogさんにお聞きしたいことがあります! ABS秋田放送のラジオ番組「ごくじょうラジオ」で、最初にMatirogさんに知り合えたことは、僕にとってかなり大きな出来事でした。ナレーションのためのサジェスチョンをしてもらいましたよね。他に秋田県で活躍しているタレントには、シャバ駄馬男さんやバリトン伊藤さんがいらっしゃいますが、Matirogさんが秋田県で仕事を得る術はどのようなものか教えていただきたいです。
M人との出会いですね。秋田県へ戻ったのは29歳の時です。それまでは、埼玉県でラジオ関係やイベントプロデュースの仕事をしていました。最初は学生レベルで、大学の中だけで活動していたのですが、さいたま市が政令指定都市になる時に、さいたま市出身のタケカワユキヒデさんたちと会議を通してイベントをやらせていただいて。その時のスキルを秋田県でも生かせるだろうと思い、秋田県へ帰りました。
尾いつかは秋田県に帰ろうと思っていたんですか?
M両親から、30歳前に華を咲かせられなければ帰ってこいと言われていたのもあります。見事に華を咲かせられなかったので、29歳の時に辞める決断をして帰ってきました。
秋田県に戻ったら、すぐに芸能関係の仕事に就けると思っていましたが、なかなかそう簡単にはいきませんでしたね。幸いにもエフエム椿台に拾ってもらい、あべ十全さんの番組を見学させてもらったり、あゆかわのぼるさんの番組のミキサーや、秋田の師匠の一人でもある、あるまんど山平さんの番組ミキサーやライブのPAをしながら録音をしたりして取材を重ねていました。
すると、あるまんど山平さんがABS秋田放送で「くさたま音楽堂」という音楽番組を始めることになった時に、声をかけてくれたんですよ。収録現場に機材を持ち込んで収録から編集までこなし、完全パッケージバージョンの番組音源をABS秋田放送に納品する仕事を、2年半ほど担当していました。2年半で、120回ほどありましたね。
余談ですが、“Matirog”だと少し硬い印象があると言われ、“マッティ”というニックネームをつけてくれたのが、僕の師匠でもある、あるまんどさんなんですよ。以降、「マッティこと、Matirogです!」と自己紹介するようになりました。
話を戻しますが、「くさたま音楽堂」の仕事を始めて1年半ほどが経った頃、「ごくじょうラジオ」の木・金曜日担当の男性パーソナリティ枠で空きが出ることになって、やってみないかと声をかけていただきました。候補者は何人かいたんですが、運よく僕が選ばれたんです。
そこから、少しずつ仕事が増えていくようになりましたね。秋田県へ戻ってすぐの頃、東北芸能企画事務所の池端祐士さんに何度もお話を聞いていただいて、たくさんのアドバイスや人脈を紹介してもらったこともありました。人との出会いの中で、少しずつ仕事ができる場が増えていったんです。繋がりに感謝しています。
尾どちらかというとラジオの仕事が多いんですか?
Mそうですね。ABS秋田放送のラジオ番組で話すようになってから、司会やナレーションの仕事のオファーをもらう機会もグンと増えて、自分の中で一段階ステップアップしたように感じます。番組の企画などに出演する機会も得られるようになりました。ラジオはプレッシャーもありますが、最高の勉強の場で、自分をPRする最適な場でもあると思っています。これまでラジオの仕事にきちんと向き合ってきたおかげで、今の自分があると確信しています。
尾ラジオの仕事から始まり、イベントなどの司会業も増えていったんですね。
これで食べていける! と安定してきたのはどのくらいの頃なんでしょう。
MABS秋田放送の「ごくじょうラジオ」を始めて1年半たった頃でしょうか。基本的に、来た仕事はすべて受けるスタンスで続けていたら、食べていけるほど安定してきましたね。
尾今年2018年4月にファイオン株式会社を立ち上げましたが、どのくらい前から考えていたんですか?
M社長になりたいと思っていたのは、子供の頃からですね(笑)。これまで会社員になった経験が無く、自分が長として活動してきたので、既存の組織に入って働くことはできないと思い込んでました。会社を作って、僕のビジョンを伝えていきたいのもあって、ファイオン株式会社を設立することになりました。
尾労働観については僕も同じかもしれません。大学生の就職活動の時期、会社員は無理だと感じました。入社してもすぐに辞めてしまいそうで(笑)。人と接する仕事がしたかったので、役者はドンピシャでした。そして、わらび座を辞めて、次に何をするかを考えていたころも、大好きな秋田県で仕事がしたいと強く思っていました。とにかく秋田が大好きなんですよ。
Mおたちゃんの「秋田大好き」という想いは名刺からも伝わってきますよ。名刺には「秋田県産タレント、MC、演劇人、尾樽部和大」と書いてありますから。肩書が「秋田県産」とは! 野菜か? って思いますよね。この肩書は自分で考えたんですか?
尾そうですね。わらび座時代にも何回か名刺を作ったことがありますが、今回も顔写真は入れようと決めていました。タレントとして生きていくためには、顔を覚えてもらわないといけませんからね。僕の目標としては、北海道出身のタレント大泉洋さんのようになりたい。秋田県のタレントと言えば、尾樽部和大と、みんなの印象に残るタレントになるためにも「秋田県産タレント」という肩書をつけました。
M名刺に書かれた「秋田県産タレント」という言葉はすごいインパクトがありますよ。秋田県が活動拠点だからこそ、自信をもってつけられる肩書ですよね。
尾秋田県から全く出ていませんしね。この名刺のおかげで、出会った人との話も弾みます。
やって悔やむ後悔を選ぶ
M:Matirog
尾:尾樽部和大さん
Mわらび座を辞めて東北芸能企画事務所に入ったきっかけはなんですか?
尾わらび座にいたころに、秋田県でタレント事務所をやっている池端祐士さんとFacebookで繋がっていたんです。頼れる人は池端さんしかいなかったのもあって、何度かお話を伺った末、事務所契約をしてくれました。そこから、CMやナレーションの仕事をいただけるようになりました。
http://akitamodel.net/otarube.html
http://otarube.com (制作協力: ファイオン株式会社)
MフリーになってすぐにCMに出演できるなんて、最速ですよ。
尾オーディションを受けて、30人ほどの中から某CMのお父さん役に選ばれたんですが、まさか僕が! と正直驚きました。すでに活躍している、地の利がある方もたくさんオーディションにいましたからね。
僕も、Matirogさんも言っていたように、来る仕事は拒まずに挑んできました。
後悔には、やって悔やむ後悔と、やらないで悔やむ後悔の2種類があります。僕は、同じ後悔をするなら、やって悔やむ後悔を選びます。「明日死んでもいい、今日を生きたい」がポリシーなので、やらずに悔やむ生き方は選びません。
M僕も最近そう思うようになりました。スティーブ・ジョブズ(アップル社の創業者・元CEO)がアメリカ・スタンフォード大学の卒業式でスピーチをした時に、
「今日が人生最後の日だったとしたら、今日やる予定だったことをやりたいと願うだろうか? もしもその答えが何日も続けて『No』だったら、それは何かを変える必要があるということを教えてくれているんだ。いつか死ぬということを覚えておくことは、人生の様々な選択をする上で、とても大きな助けになった。」と語っています。あの言葉には、人生観を変えられちゃいましたね。今日が人生最後の日になるかもしれない。そう本気で考えるようにしたら、仕事や人生に対する取り組み方がガラリと変わりました。
尾悩んだ時も、「明日はない」と思えば、チャレンジしよう! と踏ん切りがつきます。うじうじと悩んだまま過ごすのは嫌ですね。僕は、即決即断です。
Mチャレンジする気持ちがあれば、これからますます仕事が増えそうですね。
人脈は繋がり、広がる
M:Matirog
尾:尾樽部和大さん
M小坂町の町長に売り込みに行ったそうですが、なにか伝手があったんですか?
尾伝手というほどではありませんが、町長が中学校時代のバスケ部の先輩のお父さんなんです。秘書も通さずに、直接電話一本で「明日会いたいです」とアポを取りました。そしたら、あっさり「いいよいいよ」と、快くお時間を作ってくれました。その時に、支局で新聞記者をやっているバスケ部の後輩に声を掛けたら、当日現場に来てくれて、そのことを記事として取り挙げてくれたんです。
M町長に新聞記者! 人脈がすごい!
尾町長の取材が実現したのも、自分が生きてきた中で構築した人間関係の在り方なんだと感じます。わらび座時代を経て、フリーになってからもずっと繋がっている人の輪のおかげですね。
大学までバスケットをやっていましたが、その時に審判の免許も取得しました。鹿角郡市バスケットボール協会に所属して、そこで審判もしていましたが、大学卒業後わらび座に入団することになったので、審判の免許を返還しなければなりませんでした。その時はバスケの世界ともお別れで、協会の方たちとももう会うことはないかもしれないと思っていましたが、年賀状は毎年欠かさず送っていました。わらび座に入ってからは、試合に出ることはもはや無いので、大会で協会の人たちと会うこともなくなったにも関わらず、ことあるごとにずっと連絡をくれて、かわいがってくれていたんです。そして、役者になって2年目の頃に、わらび座史上初と言われた、バスケットボール協会主催の公演を作ってくれました。
Mおたちゃんのためのイベントじゃないですか!
尾小坂町にある康楽館(国の重要文化財にも指定された芝居小屋)に、僕が出ていた舞台を呼んでくれたんです。パンフレットには「鹿角郡市バスケットボール協会主催」の文字があり嬉しかったですね。600枚のチケットも完売して、満席にしてくれました。
その当時の小坂町の教育長もバスケ部の先輩のお父さんで、小笠原さんという方でしたが、実行委員会で集まる時にも、熱心に関わってくれました。その小笠原教育長の人脈もあって、公演は大成功を収めました。
あと、わらび座を辞めて、ABS秋田放送で仕事がもらえるようになったのも、フリーマガジン「のんびり」の編集長の藤本智士さんとつながりがあった、という理由もあります。今まで僕が歩いてきた中で出会った人たちが、ずっと繋がっていることを実感します。
Mおたちゃんが繋がりを大切にしているからなんでしょうね。仕事を辞めてコミュニティが変わってしまうと、縁も切れてしまうことが多いですが、おたちゃんは出会った人に恩義を感じているからなんだと思いますよ。人との付き合いを大事にしている証拠です。
尾人脈は宝だと思っています。人とのつながりを切ってしまうのは、生きていくうえでマイナスですよ。人の輪を広げていくことで、これから先の人生もどんどん豊かになっていくはずです。今まさに身をもって体験していますから。
Mバスケットボールのピボット(軸足を中心とした回転)みたいです。軸足がわらび座時代のおたちゃんだとしたら、その軸を外さず保ったまま他のところへピボットして円を描いても、おたちゃんのバックボーンである軸は変わりませんからね。軸がブレずにはっきりしていることで、過去の体験が無駄にならないんですね。
100万人の中の一人になる
M:Matirog
尾:尾樽部和大さん
Mオンリーワンの生き方は世間的にも最近重要視されていますよね。
元リクルートで、民間初の中学校と高校の校長先生を務めた藤原和博さんの著書には、
「100万人に一人のレアキャラになれ」と綴られています。役者の軸から、ラジオのパーソナリティやCM出演など、できることが広がっていくと、100万人に一人の人物になりますよ。おたちゃんが築いてきた人脈と、おたちゃんだけにしかできないことをやっていけば、必ずオンリーワンになれますね。そうなると、誰も離さなくなります! バスケットボール協会主催の公演は、まさにおたちゃんだからこそ実現したものだと思います。
小坂町長に会いに行って売り込みをしてから、仕事のオファーはありましたか?
尾小坂町の教育委員会に挨拶させていただいたときに伺った話があります。一昨年ごろから康楽館で、小坂小学校のメンバーで「子供歌舞伎」を開催していて、その子供たちが、学校で演劇をやりたいと要望したそうなんですね。それがきっかけで、昨年から毎週木曜日に演劇のクラブ活動を開始することになり、その指導にぜひ来てほしいと依頼を受けました。小坂町出身の大先輩で、オフコースでドラムをしている大間ジローさんと一緒に、ワークショップをやらせてもらったりもしました。小坂町の隣の鹿角市にある十和田、花輪、八幡平でも、演劇ワークショップに呼んでいただいています。
Mおたちゃんには、演劇、バスケットボール、教員などいくつかの顔がありますが、どれもちょっとずつかじった程度ではなく、それぞれ極めていることが強みですよね。単なるマルチな人とは一味違います。敵なしじゃないですか!
尾そう言っていただけると嬉しいですね。
仕事のオファーで、最近講演会に呼んでいただくことが増えました。母校の小坂高校が一昨年、創立100周年だったのですが、それを記念した講演会で、1時間半ほど話をさせてもらえる機会をいただきました。講演会でよく話をする内容のひとつとして伝えていることは、「夢は変わっていっていい」ということです。僕であれば、わらび座に入った当時は、いつか舞台に立つことが夢でした。そして、実際舞台に立つ夢がかなうと、次は主演になりたいと新たな夢がまた出てきます。その次に、テレビやラジオの仕事がしたいと次々と夢は出てきます。夢が出るうちは、それに向かってどんどん進んでいくことが大切です。今の僕の夢は、Matirogさんと一緒に何かすることですよ。
Mうれしいですね!
尾具体的な内容はまだ分かりませんが、ラジオでの共演や、トークショーもいいですね。同じ昭和53年に生まれ、同じ道を歩んでいる二人は、この秋田県ではなかなかいないんじゃないかと思うんですよ。
Mそうですよね。今僕たちがやっているラジオは「放送」で、インターネットを通して配信するこのウェブマガジンは「通信」です。テレビは「放送」されますが、放送されたテレビ番組が、YouTubeで通信されるなど、今は放送と通信の垣根があいまいになっていますよね。放送の中で表現しながら、色々な規制でテレビでは放送できないような面白いことを、ウェブコンテンツで配信したら、相乗効果も生まれるんじゃないかなと思います。
今考えている、やりたいことが1つあるんですよ。360度のwebカメラとVR(バーチャル・リアリティ)を合わせる企画です。おたちゃんと僕の対談で、間にあるマイクに360度のカメラを取り付けるんです。リスナーにはVRをつけてもらって、僕らの会話を間に入ってリアルに見られる。マニアックなファンは5人くらいはいるはずです(笑)
尾面白い企画じゃないですか!
Mこれまでおたちゃんはステージに立って客席に向かっていたけど、僕ら二人の対談では、リスナーはその場にいる第三者の気持ちになれます。僕らにはリスナーの存在は見えないけれど、見て聴いている人がいると思うと、新しい空間が生まれますよね。
尾今までになかった発想で、なにか新しいことができそうですね。僕もVRを着けたことがありますが、リアルで驚きました。考えた人はすごいです!
MVRは、視覚情報だけではなく、360度の音を録音するシステムもできるそうですよ。
尾ディズニーランドのミッキーマウスのアトラクションでは、3D映像に合わせて水しぶきが飛んできたり、においが出てきたり、風が吹いたり、振動があったりするようです。
M体験型で、五感も刺激されるんですか! 可能性も広がるので、叶えられる楽しい夢がますます増えますね。
★次回配信★
尾樽部和大さんの「秋田の大泉洋になるvol.4-#4」は7月9日配信予定です。
お楽しみに!