極超(ハイパー)妄想イノべイター パート1



「年貢を納めて村民になり、寄合や一揆に参加する」これは歴史の教科書に載っている言葉ではない。秋田県五城目町にある「シェアビレッジ」という、村の概念をひっくり返すプロジェクトにより、今、この時代に使われている言葉である。 すきかちっ第五弾はそのシェアビレッジ仕掛け人の極超妄想イノベーター武田昌大に迫る!

きっかけは、古民家との出会い

M:Matirog :武田昌大さん M今回は、五城目町でシェアビレッジの村長を務める武田昌大(たけだ まさひろ)さんです! 武田さんは、秋田県で色々な活動をされていて、テレビや雑誌でもよく拝見しますので、秋田県民で知らない人はいないほどの有名人です。僕もいつかお会いしたいと思っていたところ、共通の知人のT.K君が繋げてくれて、今回対談の実現に至りました。

MatirogさんとT.Kさんはどういうお知り合いなんですか?

M彼は埼玉大学時代の後輩で、学生時代お笑いコンビを組んでいたんですよ(笑) T.K君はボケ担当、僕はつっこみでしたね。交互にボケ突っ込みをしたりということも、ありました。

見てみたいですね!!!

Mいやいや、学生レベルなので…。その青春時代を共に過ごしたT.K君が、「すきかちっ」を初回から見てくれていて、「ぜひ武田さんとMatirogの対談を見てみたい!」と武田さんを紹介してくれたんです。
インタビューはいつも僕の事務所で収録していますが、今回は武田さんが提案してくれた、五城目のシェアビレッジで対談させていただいています。画的にも素晴らしくて、カメラマンも張り切っていますよ!

僕も「すきかちっ」読者ですので、いつもと違う風景もいいかなと、今回この場所を提案させていただきました。

Mご覧になってくださっているんですね。光栄です! さっそくですが、今日の武田さんは村長服ですね。

シェアビレッジで仕事をするときは、セルフブランディングとしてこの村長服を着ています。この服を着ていると、“村長さん”とすぐに認識してもらえますから。開村当時から着ているので、もう3年着続けていますね。

M年季が入っていますね。どちらで購入されたものですか?

和モダンを取り入れたハッピを探していたところ、京都の和装ブランド、「SOU・SOU」でこのハッピに出会い、村長服に決めました。



プロフィール:
1985年、秋田県北秋田市生まれ。kedama inc.代表取締役。立命館大学卒業後、東京の大手ゲーム会社に就職。秋田県活性化に本格的に取り組むため26歳で退職。2010年トラクターに乗る男前農家を集め秋田米ブランド「トラ男」を創設。
現在は2015年にオープンしたシェアビレッジの村長を務め、プロジェクト運営の全面に携わる。2017年には食とカルチャーの最新型長屋「おむすびスタンドANDON」を東京都日本橋にオープンさせた。

M斬新な格子柄で、オシャレですね。ところで、武田さんは五城目町にゆかりがあるんですか?

両親が北秋田市出身なので南下するときは必ず五城目町は通りますし、知り合いがいたりしますね。

Mそうなんですね。僕は両親が五城目町出身なのでよく来ますよ。
そういえば武田さんは雨男と伺いましたが、実際そうなんですか?収録日の今日は、大雨ですが…。

肝心な日には決まって雨が降りますね(苦笑) 初めてのデートも大体雨です。東京でイベントをしても雨だったり。僕の思い出にはいつも雨がつきものですね。

M晴れ男という売り方もありますが、恵みの雨を降らせる雨男もいいじゃないですか!

気分が上がると特に雨が降るので、今日は特別土砂降りになりましたね。

M武田さんは「シェアビレッジ」という新しい試みを発案されましたが、これまでにこのようなプロジェクトは全国にあったのでしょうか?

「シェアビレッジ」という形態はないですね。

M「シェアビレッジ」を思いついたきっかけをお話しいただけますか?

僕自身の生まれは、北秋田市で、シェアビレッジを作った五城目町ではありませんが、秋田県全体の人口減少が進んでいることが気になっていました。多くの人たちに来てもらえる場所を作り、秋田のことを好きになってもらい、いずれは移住を検討する人が増えてほしいという願いをたくさんの人に話していたところ、2014年5月に五城目町にある古民家を紹介してもらうことができたんです。僕自身、自分の実家も普通の住宅でしたし、古民家の存在は知ってはいましたが、外から見たことがあるだけで、入ったことはありませんでした。初めてこの古民家を訪れたとき、土間や、高い天井、かまどや囲炉裏、それから当時は傷んだ蚊帳があって。天井の隙間から明かりが差し込んでいて、どこか懐かしい気持ちになりました。古民家で生まれ育ったわけではありませんが、日本人は本来こういう暮らしだよなと気づいたんです。

物件を案内してくれたオーナーの方に、「将来は、こういう古民家に住みたいです。」と伝えたところ、「大変ありがたいんだけれど、3か月後には壊すんです。」と言われたんです。屋根は壊れていたものの、それ以外の箇所はオーナーの方が定期的にメンテナンスをしていたこともあって、すぐにでも人が住める状態でした。にもかかわらず、壊す決断をされていたんですよ。理由を伺ったところ、茅葺の屋根を修理するには多額の維持費がかかってしまうからだそうなんです。通いながら状態を維持するように努めてはいても、やはり、家は人が住んでいないと傷んでいきますし、このままでは冬を乗り越えられないからという理由もありました。そのため、冬が来る前、夏には取り壊そうと考えていたようです。
初めてこの古民家に出会った日に、取り壊す話を聞いて、残念でならず、なんとかできないかと悩みました。大好きになった場所がなくなってしまうのはショックです。惚れ込んだ相手が明日転校してしまう気持ちですよ(笑)
その夜、秋田から高速バスで東京へ戻ったのですが、気になってしまって眠ることもできずに、何かアイディアはないかとバスの中でずっと考えていました。

妄想からひらめいたシェアビレッジ

M:Matirog :武田昌大さん M何かアイディアは浮かびましたか?

これまで、日本全国で色々な古民家活性化事例を見てきました。民宿やカフェ、補助金を利用して重要文化財として古民家を守る方法など様々でした。こうした古民家を残す方法は、観光地や人口が多いところであれば成り立ちますが、ここ五城目町は目立った観光地はそんなにありません。人口減少が進む中で、この貴重な古民家を、次の100年どうやって残していくかを考えたときに、これまでの活性化事例ではうまくいかない気がしました。そこでどうするかを妄想してみたんです。土間や畳の部屋に、地元のおじいちゃんおばあちゃんや子どもがいて、同時に都会から遊びに来た人たちが交流している様子を、僕の願望としてイメージしてみたところ、100年先も、この場所でそういった人たちが集っている様子は素敵だなと感じました。
いろいろな人たちが集って交流している場所をイメージした時に、宿泊施設やレストラン、カフェでは少し物足りない気がして、築130年以上の古い家に、いろんな人が交流しているイメージに近いと感じたのが、「村」だったんです。

Mコミュニティという意味での「村社会」ですか?

そうですね。昔の風景はこうだった! というのを再現したいと思ったんです。
都会では、友人が自宅に遊びに来ることはあっても、近隣の人が自由に集まってくる家はほとんどありませんよね。この五城目町の風景であれば、自由に集える家が実現できそうな気がしました。考えた末たどり着いたのは「村」でした。そして、その村で集う人たちを「村民」と呼ぼうと決めました。
アイディアは固まりましたが、問題はかかる維持費です。これまでは持ち主であるオーナーが、多額のお金をかけて維持してきましたが、今回手放す決断をされた理由は、維持費が続かないからです。それならば、多くの人で少しずつお金を出し合う仕組みを作ったらいいのではと気づきました。会員からの年会費で村を支えるようにできたらいいなと。「会費を払って会員になりませんか?」という呼びかけは会員ビジネスとしては当然ですが、古民家維持のために年会費を払ってくれる会員を集めることは、個人的に面白みに欠けるなと思い、「年貢」という仕組みを思いつきました。村民が年に一度納めるものと言えば、「年貢」ですからね。

M「年貢の納め時」がピンと来たんですね! ネーミングセンス、素晴らしいです!

例えば、年会費を支払う時期が来て、都会にいる会員がファストフード店でハンバーガーを食べているときに「年貢の納め時ですよ」というメールを受け取ったら、なんだか面白いと思いませんか?

Mそんなメッセージを受け取ったら、納めなきゃ! と思いそうですね。

会費を「年貢」と呼ぼうと思いついたときに、村(古民家)を村民(会員)でシェアしていくシェアビレッジというアイディアが固まりました。
「年貢」も面白いネーミングですが、「寄合」というものもありますよ。

M「寄合」ですか。どんなことをするんですか?

年貢(年会費)を納めれば、誰でも、どこにいても村民になれるため、日本全国だけにとどまらず、海外にも「村民」(会員)がいます。しかし、遠くに住んでいる村民が秋田県にある村(古民家)に頻繁に来られるかいうと、なかなか難しいです。

Mどこにいても村民になれるのは、新しい仕組みですね。

どこにいても村民になれますが、一方で、実際に村に行けないのでは、脱会してしまいます。そこで、行けない村民でも楽しめるように、都市部で定期的に飲み会を開催することにしました。それを、「寄合」と呼んでいます。そして、寄合で知り合った村民同士で村へ行くことを「里帰」と呼んでいます。また、年に一度、五城目地域の人と外の人が大規模に交流できる場として、お祭りを開催しているのですが、それを「一揆」と言っています。そこで、村歌(ソング)を歌うんですよ(笑)

Mその全てを秋田から東京へ戻る高速バスの中で考えられたんですね!

朝、新宿に着いてすぐに企画書をまとめ、オーナーに連絡を取って、プレゼンをさせてもらいました。

Mブランディングから、ブレインストーミング、プレゼンテーションの資料作成まで24時間もかかっていないとは! プレゼンを持ちかけた時のオーナーの反応はいかがでしたか?

そのとき既に、古民家に関して話している青年が二人、五城目町にいたようで 、彼らも一緒に話を聞く場を設けてくれました。そのオーナーへのプレゼンの時にいた青年が、ハバタク株式会社の丑田俊輔さんと、当時、地域おこし協力隊だった柳澤龍さんです。

M優秀な心強いブレイン二人が同席されたんですか!

彼らも五城目町にいて、この古民家と出会い、何とかしていきたいという思いがあったようです。僕のシェアビレッジのプランを説明したところ、面白いから一緒にやろう! と言ってくれました。当時、僕は東京にいて、一人で古民家を守ることは難しかったため、地元にいる丑田さん、柳澤さんとチームを組めることは心強かったですね。

資金集めはクラウドファンディングで

M:Matirog :武田昌大さん Mシェアビレッジのプロジェクトを進めるにあたって、障害などはありませんでしたか?

チームを組むところまではとんとん拍子でしたが、実際にこの場所をどうしていくかといった部分に時間がかかりましたね。

Mどういった点で時間がかかったんですか?

古民家を宿泊施設にするには、旅館業法の許可が必要で、行政と消防、そして保健所の3つに届けを提出しなければなりません。古民家をそのままの状態で宿泊施設に変えるには、農家民宿にする方法があります。秋田県ではグリーン・ツーリズム (都市移住者などが農村などで休暇・余暇を過ごすこと)が盛んで、農家民宿にする方法が一般的です。僕たちも、古民家をありのままの状態で泊まれる場所にしたかったため、農家民宿として古民家を宿泊施設にすることに決めましたが、農家民宿法をクリアするのに、半年ほどの時間がかかってしまいました。メンバーたちを筆頭にたくさんの協力者が関係各所と奮闘してなんとか完成できました。

M3人で役割分担して完成に至ったんですね。現在の村民は何人いるんですか?

2,100名ほどですね。

M一体どのようにして集めたんですか?

法律をクリアしたので、次の段階は補修のための資金集めです。シェアビレッジを告知する意味も込めて、クラウドファンディングの“makuake”(国内最大級の購入型クラウドファンディングサイト)を利用しました。そこで呼び掛けたところ、862人から、6,174,300円の資金を得ることができました。

Mすごいですね! 目標額はいくらだったんですか?

100万円でした。

M100万円の目標額のところ、600万円以上ですか! ユニークなアイディアだったからこそ、それだけの資金が集まったんでしょうね。

クラウドファンディングで一番大事なことは、写真と、最初に見せるタイトルだと思っています。多くの人に僕らの企画を知ってもらうには、クラウドファンディングのページを開いてもらわなければいけません。例えば飲食店を評価するサイトがありますが、投稿されている写真が美味しくなさそうだと、足を運ばなかったりしますよね。やはり、興味を持ってもらう最初の段階として、写真は大事だと思います。

M確かにネットニュースなども同じですよね。まずは写真を見て、タイトルに興味を持つと、そのページを開きます。たった一行のタイトルで、見るか見ないかを決めてしまうことが多々あります。

タイトルにはこだわりましたね。クラウドファンディングでのタイトルは、「年貢を納めて村民に。シェアビレッジ町村、村民1,000人募集します。」でした。
出だしの「年貢を納めて」が今の時代にはない、新しい感覚ですし、“シェアビレッジ町村”も、いったい何だろう? と興味がわくはずですよね。そして、1,000人という明確な目標を設定しました。その結果、多くの人がページを開いてくれました。中を開くと、「寄合」だとか、「一揆」の活動が紹介されています。世界観が面白そうだと共感してくれた人がたくさんいたお陰で、想像以上に集客できました。
出資者へのリターンは、出資額に応じて村民のランクを変える方法にして、3,000円を納めるとブロンズ村民「ブロンソン」、1万円だとシルバー村民の「シルソン」、3万円だとゴールド村民の「ゴールソン」、10万円では名誉村民の「メイソン」としました。

M言葉を略した時にキャッチコピー性があるのは面白いですね!!! メイソンは何人いるんですか?

3人います。古民家にかかわる面白さを演出しました。

M武田さんは、新しい仕掛けを作るために、先の展開まで計算して、計画を立てられたんですね。

先を読んで計画を立てることは重要ですが、仕組み自体はイノベーションのように全く新しくなくてもいいと思っています。肝心なのは見せ方や伝え方。僕に関していうと、新しいワードを作って表現することが得意なので、それがうまく伝わって多くの人に興味を持ってもらえたのだと思います。

Mシェアビレッジのプロジェクトでは、ブランディングが成功したと言えますね。

学生時代に学んだことと、ゲーム会社での経験の掛け算

M:Matirog :武田昌大さん M学生時代は、立命館大学の情報工学部で学ばれていましたが、それが強みになっているのでしょうか?

メディア情報学科ではメディアでの発信方法を学びますが、僕の専攻していた情報工学部では、音声画像言語処理のような、システム開発がメインでした。もう少し人の心を動かす仕事がしたいと思ったため、東京での就職先のゲーム会社では、研究職へ行かずに、考えて仕組みを作る企画職の方へ進みました。

Mゲーム会社に就職されたんですね。シェアビレッジを企画した際には、学生時代に学んだシステム開発の知識と、ゲーム会社で得た知識が生かされたのではないですか?

そうですね。ゲーム会社で学んだことが生かされていると思います。面白いことやワクワクするものに人の心は動くものです。地域の課題解決に重要なのは、エンターテインメントを入れて人を呼び込むことだと思いました。ゲーム会社で学んだことが、ネーミングや企画の際に生かされていると思います。

Mシェアビレッジのロゴマークが素敵だなと感じますが、イメージ通りのロゴを完成させることは難しいですよね。デザイナーさんにはどのように伝えたんですか?

あまり細かくは伝えていなかったんです。僕たちと普段からよくコミュニケーションを取っている五城目町出身のデザイナーさんに依頼したところ、諸々くみ取ってくれて、結果として、こちらのイメージ通りのロゴマークが完成したんですよ。

Mそうなんですね。てっきり、細かいことを指示してあのストーリー性のあるロゴが完成したんだと思ってました!

webサイトのトップページの部分を、僕が簡単に作っていたこともあって、そこからイメージしてくれたんだと思います。

Mなるほど。そのページに武田さんの魂がすでに注ぎ込まれていたんですね。

五城目町には、多彩な才能を持った方がすでにたくさんいましたので、助けられた部分は多くあります。

M五城目町は行動的な人が多くいる町ですよね。

五城目町役場の方たちとは東京で出会ったのですが、いい意味でクレイジーでした。その時に、五城目町に新しくシェアオフィスを作るので、一緒にやらないかと声をかけてくれたんです。プロジェクトの内容は、五城目町地域活性化支援センターが、閉校した馬場目小学校の校舎を活用し、起業やコミュニティ活動などを行う事業者を支援する場として、BABAME BASE(ババメベース)を開設するものでした。僕はその時は参加できませんでしたが、すごく面白い企画だなと感じました。その施設ができたことで、外にいる多くの人たちが引き込まれ、多くのベンチャー企業が入ってきました。このBABAME BASEが、町を活性化する最初のきっかけだったのではと感じます。多くの人を取り込む吸引力は、役場の方たちの力だと思います。その後、シェアビレッジができ、どんどん人が集まってくる場所になりましたね。

M地形的にも、渦の中心なのだと思います。山の人は木を伐り、薪にして冬に暖を取る。平野部の人は米を作り、その米を炊くのには火=薪が必要です。また、山の人々も、食事は季節によって取れる物にばらつきがあるから、保存の利く米のエネルギーが必要だった。山間部に住む人々、平野部に住む人々、それぞれが互いの産物を交換し合う場として、自然と朝市が生まれました。
五城目町はもともと人が交流しやすい場所だったのかもしれませんね。引き寄せられるように人が集まる、魅力的な場所なのだと思います。

シェアビレッジ:http://sharevillage.jp

★次回配信★

武田昌大さんの「vol.5-#2」は7月30日配信予定です。
お楽しみに!