村井円香さん パート2



「世界から巻き爪をなくす」。そんな強い信念のもと、秋田でフスフレーガーとして活躍する村井円香さん。今回は、前回に引き続き、村井さんの過去から現在に至るまでのプロセスを辿りながら、その情熱の元に迫る。
ー 学生時代に経験した二つの「留学」。それが、現在の村井さんの「人間力」を育てた。

10か月の留学を決意した高校時代

M:Matirog :村井円香さん M第2回目となる今回は、村井さんの過去から現在に至るまでの経緯についてお話しいただこうと思います。さっそくですが、村井さんのご出身はどちらですか?

生まれは秋田県秋田市です。桜小学校、桜中学校を卒業後、秋田北高校に入学しました。

Mというと、秋田北高校卒業生で構成されている「あげまき会」の会員ですね! 秋田北高校は、現在は共学になっていますが、村井さんが在籍されていた頃は女子高でしたよね。子どものころはどのようなお子さんだったんですか?

今とさほど変わらず、自己主張が激しいというか、わがままな子どもでした(笑) 今でも子どもっぽさは変わりませんね。3歳のころに母親に書いた手紙があるのですが、「私の風邪が治ったら、私の欲しいものを一緒に買いに行きましょうね」という内容なんです。

プロフィール:
株式会社GRAND DESIGN代表取締役。フスフレーガー。
2012年3月にFSIフスフレーゲ認定証を取得。
資格取得後は都内のフットケアサロンで2年間技術や経験を磨く。故郷である秋田で働きたいという気持ちと、フスフレーガーとして多くの人々の足の悩みを解決したいという考えから、秋田で初めてフスフレーゲを導入。2014年から泉皮膚科クリニック内でフットケアを行う。2018年4月、泉皮膚科クリニックと連携して「秋田泉巻爪矯正・フットケアセンター」をオープン。その後、2店舗目として、9月に整骨院と連携した「秋田旭南トータルケアセンター」をオープン。2017年1月5日、会社を設立。現在も店舗にて一般の患者はもちろん、介護施設入所者へのフットケアを行うほか、定期的に医師と共に地域施設へ訪問。幅広く活動している。

M普通は「試験に合格したら……」のように、何かにチャレンジして上手くいったらご褒美をもらおうと考えますが、「風邪が治ったら」とは斬新ですね。

その発想が、自分らしいなぁと笑いました。
私はこの手紙がすごく好きなんです。

M部活動は何かされていましたか?

何部にも所属していませんでした。運動がとにかく苦手で、自転車に乗れたのも小学校4年生と遅かったんです(苦笑) 私には得意なものはこれと言ってなかったです。

M僕からはなんでも器用にこなす人のように見えていますよ。勉強は得意だったのではないでしょうか?

そんなことはなかったですね。だけど、英語だけは好きでした。それと、小さいころからメモを取ることが好きでした。どこへ行っても、書き留めていましたね。小学生のころからワープロで物語を書いていたことも今でも覚えています、今でも文章やお手紙を書くことはとても好きです。

M子どものころに物語を書いていたんですか?!

なんだったんでしょうね。
私が書いたもので、今でも父が気に入って保管しているものがあります。「これを見ている皆さんへ」というタイトルですが、内容は私のわがままなメッセージなんですよ。
小さい頃から伝えたい! 話したい! という気持ちが強かったんでしょうね。
今もブログなどで文章を書いたり、書くことは好きです。
話をすることも大好きで、子どものころは、学校であったことを一刻も早く母親に伝えたくて、気持ちが焦って走って家まで帰ったことも多くあります。

M僕が質問しなくても自らお話ししてくださるので、非常に助かります! 秋田北高校時代のことについて、お話しいただけますか?

実は、高校時代はあまり楽しんでいませんでした。中学校があまりにも楽しくて、高校生になればもっと楽しいことがある、と信じていたからかもしれません。校則が厳しかったのもありますが、細かいルールに縛られていた感じがします。

M当時の秋田北高校は才女が集まる校則の厳しい学校、というイメージがなんとなくあります。

団体行動や、規則に縛られることが苦手で、その学校生活に飽きてしまったんですよね。それで、そこにいる意味が見いだせずに、高校2年生の時に留学することに決めました。

M高校時代に留学を経験されたんですね!

ギャップゆえに辛かったアメリカ留学

M:Matirog :村井円香さんM留学は、高校のプログラムの一環としてですか?

いえ、違います。留学すると言ったら、学校の先生全員に一旦考え直すよう諭されたことを覚えています(笑) 大学進学等を考えるときに高校二年生は大切な時期で、その時間を外国で、となると勿体無いと考えられていたように思います。学年に一人いるかいないかで、ほとんど留学を希望する生徒はいませんでした。私は学外のプログラムを利用して留学しました。

M留学先はどちらでしたか?

アメリカのインディアナ州へ10か月間行きました。

M10か月は長いですね!! てっきり1~2か月程度だと思いました。

我ながらよくがんばりました。

M英語力はもともと高かったんですか?

いいえ、普通に中学生レベルの中では英語が得意だという程度でした。10か月間ホームステイでお世話になりました。お父さんがアメリカに移住されたオランダ人、お母さんはアメリカ人の看護師さん。あとは私より2つほど年上のお兄さんと、私と同じ年の女の子、ペットの犬がいるご家族でした。私の人生の中でとても大切な方々です。今は、簡単にSNSで繋がれるので、たまに連絡のやり取りをします。

M最初は言葉の壁を感じませんでしたか?

勿論大変は大変だったと思いますが、比較的ホストファミリーとは大丈夫だったかもしれません。元々の家庭環境で、家で一人で過ごす時間の習慣がなかったためか、家族と一緒にいる時間が長く、自然と馴染むことが出来た記憶があります。
留学を経験して、これは本当に私の勝手な見解なのですが、海外で暮らす場合は、もともと無口な人のほうが向いているんじゃないかと最近思うんです。

M無口な人ですか? それはどうしてでしょう。

もともと無口であれば、言葉がわからなくても自然と聞き役になれるのでストレスは少ないんじゃないかと思います。私の場合、話すことだけが好きなのに言葉の壁で伝えられなくて、それが物凄く悔しくて、自分が小さく小さく感じていました。もし、趣味や特技があれば、言葉が通じなくとも、それが武器となってコミュニケーションを図れるかもしれませんが、私の場合、何もなくてもどかしかったです。スポーツができるとか、楽器が弾けるとか、ダンスができるとか、歌が上手いとか?私に何か一芸があれば、友達作りも苦労はしなかったかも。言葉が違うだけで、自分の知り合いがいないだけで、本当は話したい気持ちがあるのに、伝えるスキルが足りず、アメリカの学校生活では、自分の居場所を見つけられなかった苦しい思い出があります(笑)

M今話している様子からも、当時の苦しさが伝わってきますね。

とっても寂しかったですね。

Mその寂しさをどうやって克服されたんですか?

結局克服はできませんでした。部屋の壁に友達の写真を貼って、お手紙を書いていました。今考えると笑えてきちゃいますが、当時は必死だったのでしょう。それでは語学の勉強にはなりませんが、留学中は一時帰国も認められていませんでしたので、とにかく日本の雑誌や本を読んで耐えてました。

M夏休みの帰省も許されないんですね。帰ってしまうと、リタイアとして扱われてしまうのは悔しいでしょう。

家族が私の留学先まで遊びに来てくれたりもしましたが、寂しくて大変でしたね。クリスマスの時期が一番きつかったなぁ。16歳、よく10か月間頑張りました(笑)

Mアメリカで高校生活を送って、友達はできましたか?

何人かはできましたが、本音を伝えられるほどの関係は築けませんでした。秋田で高校生が友人と遊ぶと言ったら、ボウリングへ行ったり、夏であれば花火をしたり、といった感じですよね。ところがアメリカの高校生は、もう最初から大人なんですよ! ピアスをして、顔も髪も派手だし、車も運転して、大人。海外の高校生ドラマの世界でしたね。怖かったです。
秋田県で、普通に友達がいて、普通に高校生活を送っていた一人の女子高生にとっては、あらゆることが衝撃でした。

Mアメリカの高校生は大人ですよね。それはびっくりでしょう。

写真を撮るときなどは、男子生徒から腰に手を回されたり、挨拶で頬っぺたにキスされるなどは日常で、とにかく色々なことが恥ずかしくて、当時の私は何もできませんでしたね(笑)

M日本じゃ考えられません! 日本人は奥ゆかしさがありますし、それは照れますよね。

AIU時代、韓国留学での気づき

M:Matirog :村井円香さん Mアメリカで10か月間の留学経験を終え、大学は全国的に知名度も高い国際教養大学(AIU)に進まれましたが、あの大学は1年間の留学が義務付けられていると聞いています。苦労した留学経験があっても、なおその大学へ進学された理由は何ですか?

進路を決めるときに、高校の先生からは「せっかく留学を経験したのだから、東京の大学も視野に入れてみては?」と言われ、実際に見学へも行きましたが、当時は長いホームシックから解放されやっと帰ってこれたー! と思っていた時期だったんです。だから、家族と友人と離れたくない一心から、秋田県から出ることを考えられなかったんですよね。当時から先のことを考えることができなかったようで、みんなずっとここにいるんだって本気で思ってたんですよね。友人が進学や就職等で東京に行くと話し始めたとき、え! そんなこと聞いてない! と騒いだりもしました。
教養大の試験は小論文と面接のみのAO入試でした。留学直後だったこともあり、英語の小論文や面接は比較的スムーズにできました。入学後はとても苦労しましたけどね。

M文章を書くことが好きだとおっしゃっていましたので、小論文は得意でしょうね。
AIU在校生は、秋田県出身者と県外者でどの程度の比率ですか?

私のころは全体の3割ほどが秋田県出身でした。
県外出身者の方は教養大に入りたくて努力してきた方ばかりですので、その人たちのレベルはとても高かったです。

MAIUは、英語という「言語」を学ぶのではなく、英語で「国際的に通用する〈教養〉」を学ぶ大学ですので、高度な英語力が求められるのではないでしょうか。

最初はベーシックな英語を学ぶので、留学直後の私も苦労はなく、比較的簡単だなと思いながら、1年生を過ごしました。しかし、それが大間違い。1年生では、教科書を読み込む必要がありますが、当時の私は、きちんと「読み込む」ことの大切さ・意味を全く理解していなかったんです。その場をやり過ごせたらいいという、やはり先のことを考えていなかったですね。内容を把握していないので、当然のちに大きく能力の差が生まれてしまいます。1年生をきちんと過ごした方の考え方、捉え方は大変立派でした。

M秋田市内のカフェなどで、明らかにAIUの学生と思われる方が、教科書を開いて何種類ものマーカーを使い分けて勉強している様子を見かけます。

私は違うタイプでしたが、その姿はかっこいいですよね(笑)

MAIUは1年の留学が義務付けられていますが、留学先はどちらにされましたか?

当時、韓国人留学生の友人がいたこともあり、韓国にしました。

M韓国といえば、焼き肉や美容ですね! 韓国での1年間の留学期間で何を吸収されましたか?

ずっと付き合っていきたいという友達ができました。どうやら、私は韓国人とフィーリングが合うみたいです。留学先の学校は多国籍で色々な国の学生がいましたが、学内よりも、家の近所の美容室のお兄さんたちや、近所のタコ料理やさんのおじさんなど、生活に密着した方との交流がとにかく楽しかったです。

M韓国文化に溶け込んだんですね。

はい。学業はもちろんですが、韓国での日常の暮らしから得たものが大きかったです。楽しかった!

MAIUは、ただ勉強するだけではなく各国の文化を体感できる大学なんですね。

学校の方針とあっているかは定かではないです(笑) 本来は、留学経験ありきで入学を希望される学生が多いと思います。同級生の中には、外交官や大企業への就職など、将来に向けて高い目標を常に掲げている方が多いですが、私は少し違いました。

M村井さんは地域の方との交流を大切にされる方なんだと思います。その国の生活を、肌をもって体感できる方だからこそ、人の悩みに寄り添う今の仕事につながっているように感じます。

人と関わること、お話しすることが何よりも好きだからでしょうね。韓国の方はとても情を大切にされます。その感覚には私も共感しますし、結果的に韓国での留学経験の間に、人生にとって大切なものを沢山考えたように思います。

M韓国ドラマを見ていると、彼らは本気で喧嘩をしたり、心底優しかったりしますよね。

留学先が韓国に決まった時に、韓国人の友人が韓国にいる自分の友達を私に紹介してくれました。その紹介された友人たちとは、韓国で会った瞬間から仲良くなりました。本来言葉が通じない外国人が来たら、億劫に感じることも多いはずですが、「友達の友達だから仲良くしよう!」と私と接してくれました。彼らの懐の深さに感動しました。

M確かに友達の友達だからと言って、すぐに友達になるのは困難なものです。彼らは、最初から信頼してくれて、仲間だと思ってくれたんですね。韓国で快く受け入れられた経験があるからこそ、今の仕事で村井さんは、悩みを抱えている患者さんの話を、情をもって受け止めていけるのだと思います。

そうなのかなぁ(笑)
今だったらフットケアができる、巻爪矯正ができるという特技を手に入れたので、言葉が全く通じない国でも生活できる自信があります(笑)

★次回配信★
村井円香さんの「思いを具現化する力 vol.8-#3」は12月10日配信予定です。
お楽しみに!